東府中駅前を過ぎ京王線の踏切を渡ると、しばらくは無理やり造られたと思える狭い歩道を歩きます。
歩行者がすれ違うこともできない狭さが続きますが、こんな道路の沿道でも府中駅に近づくにつれてマンションが増えていきます。
この狭さなら歩道の形にせず、ラインが引いてあるだけのほうが歩きやすいように思いますが、”目に見える形”にすることが大事なようです。
八幡宿交差点を過ぎると道路が広くなり、歩道も十分な広さになります。
都市計画幅まで広げられ電線は地中化され電柱もなくなり、マンションが多いためか看板が少ないので、落ち着いた通りです。

[ 府中 狭い歩道(2025 02 24)]
人通りが増えてくると、大國魂神社前のケヤキ並木との交差点が近くです。
ケヤキ並木は1000年近い歴史があるとも言われる「馬場大門のケヤキ並木」で、約600mの並木は天然記念物に指定されています。
この交差点は大國魂神社への参拝者に加えて、けやき並木の横には大規模な商業施設があるので、多くの人で賑わっていました。
少し南には東京競馬場があるので、レースの開催日はさらに多くの人が集っているかもしれません。

[ 府中 ケヤキ並木(2025 02 24)]
大國魂神社前を過ぎ次の交差点は、高札場があったところです。
街道を挟み反対側には1860年創業した蔵造りの酒屋があり、この一角だけ昔の街道らしい雰囲気があります。
高札場の交差点を過ぎると、道は狭くなりどこにでもある特徴のない沿道風景になります。
しばらく進むと弁慶坂といわれる緩い下り坂になりますが、すぐに上り坂になり京王線の踏切が見えてきます。

[ 府中 高札場(2025 02 24)]

[ 日野 常夜燈(2025 03 20)]
府中宿を出て新府中街道との交差点に、秋葉大権現の常夜燈があります。
街道沿いにあった本宿村は多摩川の河岸段丘上に位置し、水に乏しく火災に悩まされていました。
そのため、火災消除の御利益で知られる遠江の秋葉神社に「火伏せ」の祈祷を依頼し、1792年に常夜燈を建立しました。
以来、毎夕刻に無事を祈って灯をともしてきましたが、太平洋戦争中の灯火管制により点灯は中止されました。
地域の歴史が詰まったこの常夜燈も、いまでは道路脇の狭い一角に追いやられています。

[ 日野 多摩モノレール(2025 3 20)]
府中宿から日野宿へ向かう甲州街道は、都道になったり国道になったりと姿を変えながら続きますが、歩道は狭く、人とすれ違うのがやっとです。
そこへ自転車が来ると身の置き場に困るほどで、かといって交通量の多い車道を自転車が走るのも見ていてひやりとします。
立川市に入り、日野橋交差点を過ぎると、多摩川を渡っていた「日野の渡し」の跡があります。
1926(S1)年に下流側に日野橋が架けられると渡しは廃止され、今は下水処理場の脇に石碑が残るのみです。
平成に入ると上流側に立日橋が架けられ、自動車に加えて2000(H12)年からはモノレールも多摩川を越えるようになりました。
渡船で川を渡っていた時代から、わずか80年足らずでモノレールが走るようになるとは、誰が想像できたでしょうか。

[ 日野 日野宿本陣(2025 03 20)]
日野宿には、都内で唯一、本陣として使われていた建物が現存しています。
先代の本陣は江戸末期の火災で焼失したため、1864年に再建されたものです。
明治期に上段の間など一部が移築されたものの、建物自体は今日まで大切に保存されてきました。
大黒柱は40センチを超える太さがあり、長い年月を経て黒光りしています。
庭の池はすでに埋められ、周囲には住宅やマンションが迫って建ち並んでいるため、かつての広がりを想像しにくいほど閉じ込められた印象を受けます。
幕末期の当家主人は土方歳三の義理の兄にあたり、歳三が江戸に戻った際にはここを訪れていたと伝わります。
ルックスの良い土方歳三が里帰りするとなれば、SNSのある現代なら間違いなく大騒ぎになっていたでしょう。

[ 日野 日野自動車(2025 03 20)]
旧・甲州街道は中央線日野駅で分断されているため、駅下のガードを抜け、さらに中央高速の下をくぐって進みます。このあたりの道は「大坂上通り」と名付けられ、日野駅付近から多摩川の段丘を上る坂道になっています。高さのある擁壁の上に住宅が建ち並び、見上げると少し圧迫感があり、ちょっと怖い感じがします。
旧・甲州街道を進むと右手に日野自動車の本社と工場が広がり、バス停を三つ通り過ぎるほどの規模です。そのほかにもコニカミノルタなど大きな工場が並びますが、かつては畑が広がっていたのだろうと、つい想像を巡らせてしまいます。
そして近くには、トヨタではなく「豊田駅(とよだえき)」があり、この取り合わせが何とも言えず面白いものです。

[ 八王子 大和田橋の弾痕(2025 03 20)]
八王子宿に入る直前、大和田橋で浅川を渡ります。
この大和田橋には、太平洋戦争中に米軍の焼夷弾を受けた弾痕が残されており、ガラス張りにして見学できるようになっています。
ところが、訪れた日はガラスに水滴がびっしりついていて、中がまったく見えませんでした。前日に雪が降った影響だったのでしょうか。
そのほかの弾痕は、歩道のブロックの色を変えることで位置が示されており、橋の上に戦争の痕跡がひっそりと刻まれています。

[ 八王子 新町一里塚(2025 03 20)]
大和田橋を渡って右折し、少し進むと旧・甲州街道がそのまま残る区間に入ります。
広くはない道の両側に住宅が並んでいますが、緩やかに曲がる道筋は昔のまま。
現在は一方通行にして、狭いながらも両側に歩道が設けられており、歩行者にやさしいつくりになっています。
街道が直角に折れる手前の公園には、一里塚跡を示す石碑があります。
ここは江戸から十二里の新町一里塚の跡で、かつては大きな榎が植えられていましたが、明治の大火で失われてしまいました。
隣の神社には、八王子出身の力士・八光山権五郎の石像が立っており、この場所からでも自然と目を引きます。

[ 八王子 八王子市街(2025 03 20)]
八王子宿を通る甲州街道は国道20号となり、八王子駅入口交差点を中心に店舗や飲食店が立ち並んでいます。
太平洋戦争の空襲で市街地の約80%が焼失したため、古い建物はほとんど残っていません。
かつて街道沿いには低層の専門商店が並び、歩道の上にはアーケードが続いていましたが、商業の中心が駅前へ移るにつれマンションなどの建設が進み、アーケードは歯が抜けたようにところどころ残るだけになりました。
今もマンション建設が進んでいるため、点在する低層の建物もいずれ建て替えられ、ビルの壁面が連続する街並みへと変わっていきそうです。
その建て替えが進むビルの一つに、松任谷由実さんの実家である荒井呉服店があります。
1階では今も呉服店が続けられ、上層階はマンションになっていました。
甲州街道沿いには、手頃でおいしそうなランチを出す店が多い印象です。
歩いているとメープルシロップの甘い香りが漂ってきて、思わず足が向いた先はメロンパン屋さん。
ついパンを買ってしまいました。外はカリカリ、中はふわふわの焼きたてのメープルパンでした。メロンパンではありませんね。

[ 八王子 イチョウ並木(2025 03 20)]
追分町交差点を過ぎると、国道20号の両側にイチョウ並木が高尾駅前まで延々と続きます。
大正天皇が崩御し、1927(S2)年に多摩御陵が完成したのち、1929(S4)の道路改修の際に宮内省が植えたものです。
植樹当時は高さ2メートルほどだった木々も、いまでは15メートルに達するものがあるそうです。
訪れた3月は葉がまったくなく、枝だけのさみしい立ち姿に見えましたが、紅葉の季節にはきっと見事な景観になるのでしょう。
その一方で、銀杏が落ちる頃のあの独特のにおいを思うと、少し気になるところでもあります。

[ 八王子 100年記念(2025 03 20)]
日野から大和田橋にかけての国道20号にもイチョウ並木が続き、イチョウの根元を囲う歩道ブロックには「直轄事業100年記念」と記されています。 1873(M6)年に河港道路修築規則が制定され、国と地方の費用負担が定められたことを起点として数えると、拡幅工事がされた時期が100年ほどになるのでしょう。 おそらくその節目を記念したものと思いますが、一般の人にとっては何を祝っているのか分かりにくい記念ではあります。

[ 八王子 旧・甲州街道(2025 03 20)]
多摩御陵入口から高尾駅前の間は、旧・甲州街道が残っている区間があります。
広い道ではないので歩行者のために片側のブロックの敷き並べ方を変えて、さりげなく歩車分離を誘導しています。
広い敷地を持つ住宅がところどころにあり、落ち着いた雰囲気の住宅地です。
東京都といえどもここまで来ると、静かさがあります。

[ 駒木野 小仏関所跡(2025 04 12)]
高尾駅前を通る国道20号を進み、西浅川交差点を右折して緩やかな坂道を上っていきます。
まだ両側には住宅が多く並んでいますが、地区の掲示板には「イノシシ出没注意!!」の張り紙があり、山が近い土地柄を感じさせます。
そんな住宅地の中に、小仏関所跡があります。現在は石碑と案内板があるだけで、建物は明治2年に取り壊され、跡地は小さな公園のような広場になっています。
もともとは小仏にあった関所が1580(天正8)年に駒木野へ移されましたが、その後も「小仏関所」と呼ばれ続けました。

[ 駒木野 小仏関所跡前(2025 04 12)]
関所の前を通る甲州街道は狭い道ながらバス路線になっており、休日には高尾山などを訪れるハイキング客のため、高尾駅からのバスが増便されて走っています。
国道20号となった甲州街道は拡幅され、昔の面影がほとんど残っていない区間が多かったのですが、このあたりからは、かつての街道の姿を想像できるような道が少しずつ増えてきます。

[ 駒木野 旅籠と八王子JCT(2025 04 12)]
駒木野宿を過ぎると、中央高速道と圏央道が交差する八王子ジャンクションが見えてきます。
山に挟まれた地形のため、高速道路は高い位置で交差し、まるで空の中を走っているようです。
その八王子ジャンクションの下には、昔の旅籠がひっそりと残っています。
軒下には社寺参詣の際に掲げられた「講中札」がずらりと並び、圏央道の近代的な橋梁と、古い街道文化が同じ空間に同居する、時間を超越した空間です。
中央高速道とJR中央線は甲州街道にほぼ並行して通っていますが、国道20号は高尾山の南側を大きく迂回しています。
地形と技術、費用の折り合いのためかなのか、小仏峠の下にトンネルを掘らずに済むルートが選ばれたようです。

[ 駒木野 講中札(2025 04 12)]
旅籠の近くには、太平洋戦争中に疎開する学童が乗った列車が米軍機の銃撃を受け、多くの学童がなくなった湯の花トンネル列車銃撃の慰霊碑があります。

[ 駒木野 JR中央線と八王子JCT(2025 04 12)]

[ 小仏 小仏宿(2025 04 12)]
JR中央線のレンガ造りのガードをくぐると小仏宿に入りますが、中央高速道とJR中央線に挟まれたごく狭い土地にあり、片側にまばらに住宅が建つだけの静かな一角です。
明治天皇の小休所を示す石碑が個人宅の庭先にぽつんと立っていますが、かつて宿場として栄えた面影はほとんど残っていません。

[ 小仏 排煙設備跡(2025 04 12)]
小仏宿跡の横にはJR中央線の小仏トンネルの坑口があり、その上に奇妙な形をしたコンクリートの残骸が街道から見えます。
後で調べてみると、蒸気機関車が走っていた時代の排煙設備の基礎で、ここから送風機でトンネル内に風を送り、煙を排出していたのだそうです。
小仏トンネルは2574メートルもあるため、内部に滞留する煙への対策が欠かせなかったのでしょう。
小仏宿を出ると、JR高尾駅からの路線バスの終点があり、ハイキング客を降ろしたバスが空車で折り返していきます。
バス停の先では、中央高速道の脇に工事用の大きな構台が見え、小仏トンネルの渋滞対策としてトンネル増設工事が進められていました。

[ 小仏 都道浅川相模湖線(2025 04 12)]
ヘアピンカーブを過ぎて少し進むと舗装道路が終わり、林道のような道になりますが、小仏峠まで続くこの道は「浅川相模湖線」という都道です。
東京都の道路台帳によれば、最も狭い箇所の道幅はわずか1.00メートルとのことで、都道としては驚くほど細い道です。
小仏峠には一休みできる広場があり、高尾山・景信山・相模湖方面へ向かう道の分岐点になっています。
ここから先の甲州街道は、相模原市が設置した標柱を頼りに進むことになります。
小仏峠から相模湖方面へは下りの山道で、体力的には楽な道のりですが、後ろからトレイルランニングの人が走ってくると、狭い道だけに思わず身構えてしまい、突き飛ばされるのではとヒヤヒヤします。

[ 小仏 小仏峠(2025 04 12)]
<参考資料>